2014年8月16、17日、教会で意気投合している友達と教会で小学校在学中の子供達のため、二日間の生活キャンプを行った。
最初このイベントを考案したのは五月頃だったので、時間に余裕があると思われたが、初めて四つの教会の教師と協力して作ったため、その過程には様々な紆余曲折があった。元々は簡単なイベントにし、スタッフが余裕を持って参加できるように構想したが、毎回打ち合わせをする度に、徐々に完成的で複雑な内容になっていった。参加予定の子供の人数も20名から一気に32名に増えた。唯一変わらないことは私達の宗旨―子供達が神様が共にしてくださったキャンプが絶対に外のキャンプよりずっと面白く感じ、また共に信仰を学習できる同輩ができればということだ。
昔のキャンプはいつも御言葉の教えが満ち溢れていた。それは大人が子供の理解が足りなくて、無知によってミスを犯すのではといつも心配しているからである。でも、毎回子供達が御言葉を聞く前の準備と聞いている反応を見て、私はいつも間違った繋がりを生うのではないかと心配していた。鄭明析(チョン・ミョンソク)総会長牧師が聖書の御言葉を理解し、教えられるために、青春と無数の条件を立てた。学習を通して、御言葉も確実に私達の命を変えたが、子供達が御言葉に面するときに窮屈と負担しか感じられなかったら、それは本当に尊い教えが地に落ちてしまう。その故、今回二日間のキャンプのプログラムは主日礼拝の御言葉の時間以外は、全部遊びのコースだった。内湾老街からプールでの水遊びまで、最後はグラウンドゲームで終えた。
同行していた両親が証した。御言葉のないプログラムに見えたが、実は御言葉が満ち溢れるコースだった。グラウンドゲームでは、一つ一つのゲームに御言葉と面白さが深く繋がっており、スタッフが考えを凝らして作ったテーマを通して、子供達は日ごろの御言葉学習の達成感を感じられた。子供達の楽しそうな笑顔を見て、私まで大きな力を得られた。主日礼拝に、子供達と共に賛美の準備をしている時、子供達の真心の賛美を聞きながら、たくさんの子供達が静かに涙を拭いた。私も熱い涙が目に溢れた。子供達が主の御前にでることは私達より簡単な事だと悟った。
私はキャンプで感動した事が二つあった。一つはある女の子が真面目に教会の壁に掛けられた百何枚の箴言を書き写していた。「これはお母さんにプレゼントとして持ち帰って、その上ラミネート加工する」と彼女が言った。その瞬間、私は御言葉を大切に両手に抱いているお母さんの姿が見えた。これが「身をもって教える」という事だと思った。御言葉がどれほど貴重かという事を口で説明するより、もっと重要な事は私たちの実践だ。もう一つは、もう一人の女の子が、朝ごはんの紅茶を飲んで、すごく美味しく感じたのか、彼女は「余った紅茶は持ち帰ってもいいですか」と私に尋ねた。彼女は家族と一緒に飲みたかった。紅茶3杯を新竹から板橋まで持ちかえるには、こぼれる可能性があるが、彼女はいろんな方法を考えて克服した。彼女を見ながら、あなたの姿を思い出した。食べたらもったいないと思って、キャンディを握って、家まで走って、弟とシェアしたかったが、手を開くと飴がもう溶けてしまったことに気づいたあなたを思い出し、子供達も実践を身につけたと感じた。
イベントが終わって、子供達はずっと「次のイベントはいつですか?」と私達に聞いてきた。ある子供は家へ帰ったあと、自ら主が好きではない事をしないようにしようと約束し始めた。ある子供は楽しくて、次は必ずカメラを持って一緒に写真を撮ろうと私達と約束した。恵みと感動があふれ満ちるキャンプだった。全てただ神様に感謝をささげます!