九月の太陽が照り付ける中、情熱的な高雄で教会の学生たちにより一つの活動が始まった。「愛と平和」のビーチクリーン活動である。元々は、ある学校により提唱されたが、後に多くの人が賛同し、全教会の大学生や専門学校生、及び社会人が参加する活動へと拡大した。
丁度台風が過ぎた後だったため、漂流した木やごみが砂浜中に散乱しているであろうと思っていたが、実際海辺に行ってみると、予想に反して想像していたようなごちゃごちゃした様子は全くなかった。というのも、岸にはすでに拾われた枯れ枝が入った袋が一つあったのである。それでも岸辺でごみ拾いをしている中で、この砂浜にはガラスの酒瓶や爆竹の燃えカス、無数の吸い殻、さらには注射針までもが捨てられていることに気づき、心がとても痛くなった。心の中では繰り返し疑問が生じていた。「まさかこのようにごみをポイ捨てする人は、素足で砂浜を走り回る多くの子どもや老人がいるかもしれないということを考えたことがないというのか?」
人は、心で考えた通りに行うようになる。放置されたごみは、心の中の記録と同じようなものだ。ここ、神様が創造した海岸は人類の無知により破壊され、人類もまた結局、自分が犯した罪により損害を被るようになる。地球がどれだけ大きくとも、一つしかないのである。だからこそ、私たちがこの地のため、自分のために祈り、多くの人のため代わりに悔い改めることで、人々が霊的にさらに清くなり、主の新婦となって主の香りを放ち、人間の変化によってこの地に創造当初の美しさを取り戻せることを真実に待ち望んでいる。
今回の活動を通し、新たな仲間たちは実際にビーチクリーン活動に参加したことで、何か違ったキリストの精神を感じることができた。男性たちは、海辺から岸まで一列に並び、枯れ枝とごみを一つ一つリレー方式で次の人に渡していたが、このように力を合わせて終えた時、一つとなって和睦をなす地上天国、理想世界がこの時、この地で成されたのである。
高雄旗津特別報導